今回は、満を持してというわけでもないが、どこかの時点で必ず紹介しなければならない人について、例によって写真がちょっと小さめだが紹介したい。
安全坊や(初代)
彼こそ、とり・みき氏の調査によって日本最初のオジギビトではないかと推定されている、大成建設の「安全坊や」である。
詳細は「街角のオジギビト」内のコラム、「オジギビトの発生」(122‐124ページ)に譲るが、「坊や」と言いつつも実は1964年の東京オリンピック前に生まれたオジギビトで、この写真の撮影当時でも既に大ベテランである。脚の黄色と黒の縞々は、工事現場対応のカラーリングなのであろうが、実はゲートルとのことである。
1993年に二代目が登場してもしばらくの間、こうして現役で現場に立っていた初代安全坊やだが、もはやこの初代坊やはどこにも見かけられなくなった。恐らく97‐98年あたりが、最後の活動期だったのではなかろうか。本部長はこれを最後に、初代坊やに出会っていない。
見得切り型の初代安全坊やも、同じ現場で活躍していた。見得切りポーズの安全坊やは、オジギビト集会所のバナーの参考になっている。
安全坊や(二代目)
下の写真は、1993年から登場した、二代目の安全坊やである。
顔の造形は初代とそっくり、というか同一人物と言ってもよさそうな感じであるが、服装は現代的なものに大幅アップデートされている。しかし反面、彩りは完全に抑制され、モノトーンになっている。このポーズの二代目坊やが、恐らく最もよく現場で目撃されているものではなかろうか。
これは羽田空港で発見された例である。見ての通りの、どこかからコピーしてきたとおぼしき、デジタルな輪郭である。
しかしかな~り、「低解像度」である。ちょっと細めになっているのもまあ、ご愛嬌か。
これは保護帽の縁を指で掴み、帽子を取ろうとしているかのようなポーズを取る、二代目坊やである。
いつものポーズの時と比較すると、ベルトに差異が見られるが、これだけでも結構印象が違うものである。
デビューして20年も経つと、さすがにこのモノトーン服装にも飽きたのか(?)、色違いの服を着た二代目坊やが見られるようになった。それが下の例である。
しかし、個人的にはベルトほど「あっ違う!」とは感じなかった。お馴染みのポーズだからだろうか。しかし実は、左手が右手の上になっているという、割とさりげなくも「あれっ!?」と思わせる変化が……。単に「裏焼き」なだけかもしれないが。
四半世紀以上も経ち、二代目坊やにもようやく(?)、カラー化と仕草のバリエーションが出てきたようである。
博多駅前で目を閉じてオジギするカラー化安全坊やである。大成・佐藤・森本・三軌・西光JV(ジョイント・ベンチャー)による工事で、安全帽のマークはJVであることを示している。
二代目坊やが登場してもう30年近く経つことになるが、初代が東京オリンピック前から少なくとも90年代後半まで活躍していたことを考えると、二代目安全坊やもそれくらいは活躍しそうである。
三代目はまだ出てきていないようだが、もしかするとそろそろデビューということもあるかも……と、ちょっと期待したりもする。その一方で、どこかで限定的にでも初代の復活的なことはないだろうか、と思うことも。昨年の東京オリンピックの時が、ちょうどメモリアル的に良いタイミングだったのだが……。