オジギビト集会所本部長室R

路上観察サイト「オジギビト集会所」本部長のブログ

【雑記】晴れた日の雌阿寒岳(と富士山)

 道東地方太平洋側は、8月の曇天&高湿度な天候から、スイッチを切り替えるかのように晴天の日が増え、湿度も大幅に下がっている模様である。しかし今現在、台風が接近中とのことで、連休はどうやら大雨になるとのことである。

 晴天の日は、遠方の山々もよく見える。下の写真は、9月15日の正午頃に撮影した、雌阿寒岳と阿寒富士である。一番左端の黒い山が阿寒富士、その隣の火口が大きく開いた山が、雌阿寒岳である。(雄阿寒岳はこの写真の右側、写真一つ分隔てたくらいのところにある)

阿寒富士(一番左端)と雌阿寒岳(その右隣)(2022年9月15日)

 雌阿寒岳の火口の右側に、一際白く輝いて見えるところがある(写真中央、少々右寄り)。

雌阿寒岳の火口付近(2022年9月15日)

 雪が降る季節はまだまだ先なので、これは岩石や火山砕屑物(テフラ)によるものであろう。河口付近は薄い茶色の堆積物が広く覆っているようである。その辺りの物の分布状況について記載されている論文を、ちょっと当たってみるべきかもしれない。(一時期、この地域の火山の国内論文のPDFは結構な量を集めたが……)

 真っ白に輝いて見えるのは、デイサイト質のテフラが積もっているとか、そういうことなのだろうか。あるいはもっと「白成分」が多い、流紋岩質なのか?(雌阿寒岳および阿寒富士の活動では、確か玄武岩質〜安山岩質〜デイサイト質のマグマが関与していたはず……とすると流紋岩質までは行かないのか)。

 ついでと言っては何だが、1999年の元日に撮影した雌阿寒の山々の写真(プリント)が出てきたので、スキャンした画像を出しておきたい。真冬なので、山頂部は雪に覆われている。

釧路港越しに見た雌阿寒の山々(1999年1月)

 2022年の写真と比べると、雌阿寒岳の火口の形がやや違って見えるが、これは撮影した場所によるものだろう(=見る角度の違い)。

少し拡大した雌阿寒の山々と釧路港

 

 この写真と一緒に出てきた写真も、ついでと言っては何だが出しておきたい。撮影日は不明だが、恐らく2000年くらいだと思われる。写真のプリントをスキャンしたものだが、劣化が進んでいるせいか、下の町並みは真っ青に変色しつつある。

埼玉県越谷市某所から夕日を撮る(恐らく2000年頃)

 なぜこの方向の写真を撮ったかというと、富士山がちらりと見えたからだったと記憶している。この翌日あたりに撮った写真も、一緒に出てきた。これもプリントがやや劣化気味である。

関東地方から見る富士山(2000年頃)

 この時の天候は快晴で、富士山の周囲も雲一つ無い状態であったようである。

 この山、日本人ならば誰もが知るあの富士山で間違いないはずだが、お恥ずかしいことに本部長は、この写真の山が富士山であることに、先ほどまで今ひとつ確信が持てなかった(ネット検索で「関東地方から見た富士山」と検索し、見える形を確認した)。もちろん羊蹄山とか、フィリピンのマヨン山などの成層火山とは違うということは、すぐに区別は付くが。これまで、日常生活で見ていたものではないということで、やや不安になったわけである。

 ちなみにマヨン山は、日系移民から「ルソン富士」とも呼ばれたという、非常に美しい成層火山である。2018年1月に用事でフィリピンに行った時は、ちょうどマヨン山が噴火している最中で、地元のCNNのニュースでは繰り返し、溶岩が噴出する様子を流していた。これ以上激しく噴くと帰りが心配だ……と思ったが、それは杞憂であった。

 

 これまで日常的に見ていた、馴染みの深い山々と言えば、雌阿寒岳雄阿寒岳はまあ当然として、筑波山大山、そして比叡山ということになるだろうか。大山はテフラ研究の方でも散々絡んだ山だが、あそこのテフラは特に年代の若い方が(研究史的にも層序的にも)なかなか込み入っている上に、「ここは俺の縄張り!」とばかりに、他に大山を調べている人々に吠えかかる奇妙な御仁(筑波某所の某氏)がいたりで、残念ながら「面倒なのでもう関わらないことにしたい山」となっている。同じ中国地方の三瓶山については、だいたい出すべき情報は出せたと思っているが、大山の方はかなり「面倒」な感じが濃厚なので、まあ良いかと。またこの御仁に、無駄に吠えられるのも嫌だし。