オジギビト集会所本部長室R

路上観察サイト「オジギビト集会所」本部長のブログ

【飛び出し児童】道路に飛び出し……ではなく、こちらに駆けてくる児童

「とび太くん」に代表される飛び出し児童看板は、車道の中央方向に向かって飛び出してくる形なので、「飛び出し坊や」とか「飛び出しくん」とか「飛び出し児童」(本集会所での呼称)と呼ばれているわけである。
 しかし中には、車道に飛び出してくるというよりは、こちらに向かって駆けてくるような感じの児童看板もある。下の写真は、2010年6月に、京都市左京区で出会ったものである。

飛び出す……ではなく駆けてくるよつば(2010年6月)

 道路に飛び出してくる児童もいる……というよりは、一歩引いた感じで、「この辺にはこういう感じで子供が駆け回っている」ということを、真正面から捉えた児童の看板で示しているわけである。
 ところでこの児童、即座にお分かりの方も多いと思うが、マンガよつばと!の、よつばである。かなりの再現度である。

 この看板が設置された地域は、ある小学校のPTAが飛び出し児童を配置している校区内であるが、この辺りにはなぜか置かれていなかった。(坂道という地形的問題、あるいは地域住民との細かい話し合い的なものが?)
 このよつば看板は、どうやら地域住民が独自に作成、設置したものである模様。数は少ない……というか、記憶ではこの一つだけだったような気がする。「町内会で用意」的なものというよりは、個人による自発的設置のような感じである。
 2024年現在、よつばが今もこの場所で駆けているのかどうかは、不明である。少なくとも2020年までは、存在が確認できている。そろそろ新しい看板に置き換えられているかもしれない。
 ちなみにこの地域を校区とする小学校PTAによる飛び出し児童に関しては、「飛び出し児童館3」にまとめてあるので、興味のお有りの方はどうぞ。

 ついでと言っては何だが、すぐ近くの「地域住民の独自作成と思われる、飛び出し児童看板」をもう一例。細部に拘って、かなり丁寧に描かれた看板である。

和装の子(2009年9月)

 この子も、何かのマンガとかのキャラなのだろうか……?残念ながら、未だにその辺りのことは分かっていない。完全オリジナルという可能性も、もちろんあるが。ちなみにこの子の看板は、すぐ近くにもう一つあった。
 残念ながらこの看板は、どんどん破損が進んでいき、10年後も確かにその場にはあったのだが、車道側の部分が特に大きく破損していた(もう一つも同様で、半引退状態だったような記憶が)。2024年の今は、既に引退しているかもしれない。それを確かめることはもはや叶わないのだが、「児童の安全のためによく頑張った、長いことご苦労さま」と言ってやりたいところである。

 

【オジギビト】あの短編アニメに登場したオジギビト、今も変わらず現役で何より

 先日、四国支部長から、もう長らくリアル世界では出会えていない人の写真が送られてきた。

岡山県倉敷市倉敷美観地区大原美術館近傍)の藤木工務店専属オジギビト
(2024年4月/四国支部長報告)

 藤木工務店専属の、直立不動型オジギビトである。右手の仕草が、「いやあ〜どうもすみません……どうか、どうかご協力お願い致します」という感じである。
 この人には、過去何度か様々な場所で出会っているはずなのだが、その活躍ぶりを写真におさめる事は、してこなかったと思う。そういうわけで、本部長が唯一自分で撮影した写真は、1999年1月に東京都台東区東上野で、初めて出会った時のものだけである。実に四半世紀前……。ちなみに下の画像二枚は、銀塩カメラのプリントのスキャン画像である。

上野で出会った藤木工務店専属の人(1999年1月)

 2024年の倉敷市の彼に比べると、かなり日焼けしている。服も黄色系ではなく、緑系である。頬の二重線の色も、違うようである。しかし、それらを除くと、顕著な変更・改修部分はない。
 この人がいつ頃デビューしたかは定かではないが、もうこの時点で既に、完成され尽くしたデザインだったと言えるだろう。90年代末期は、まだまだ描線や塗りが良くも悪くもフリーダムな(!?)オジギビトも多かったが、この人の場合は、明らかにちゃんとしたプロの手によるデザインと言える。(社内で「腕におぼえあり」な人がやってみた、というのももちろんあり得るだろうが……)
 ちなみにこの人、映画「マトリックス」の設定に基づいて作られたオムニバス・アニメーション「アニマトリックスのエピソードの一つ、第7話「ビヨンド」(監督・脚本:森本晃司)に、数秒間だけ登場する。

 ところでこの人、1999年と2024年で、服と肌の色以外は、全然変わらない感じと言ったばかりだが、実は少しばかりバリエーション展開……というか「ぶれ」が生じたこともある模様。それが次の写真である。保護帽のマークでも分かる通り、同じ藤木工務店の現場である。

東京都大田区西糀谷の藤木工務店専属の彼(2016年4月/H.E.氏提供)

 全体の感じは、1999年の彼と共通である。しかし口のカーブや頬の膨らみ(および赤み)の表現、目の感じ(黒目の点と目の輪郭の微妙な位置関係および太さ)などに、僅かながら差異があるようである。ネクタイやベルト(バックル部)、そして安全靴などにも、やや変化が見られる。
 輪郭線の強弱というか不安定さは、何と言うか「コピーを繰り返し取った結果の劣化」のような印象を受ける。「劣化」と言っては失礼だが、この看板の彼は、看板として発注される際にそういう「変質した原盤」を元にして作られたのかもしれない。しかも靴などに、少々のアレンジを入れて……。
 もしかすると、この東京都大田区の彼のような「変種」は、既に何人も登場しているのかもしれない。今回倉敷市で見つかった彼は、「たまたま」1999年の彼とほぼ同一だっただけなのだろうか。
 彼の変種の活躍ぶりと、今後の変化は、追跡し続ける必要があるだろう。
 この人に関しては、2年前に取り上げたことがあるが、2024年現在も変わらず現役であることを祝して、敢えて彼だけピックアップして、再度紹介させていただいた(写真の解像度も高いし)。ご了承いただけると幸いである。

ojigibito.hatenablog.com

 

【飛び出し児童】決まった形にどう嵌め込むか?

 先日は、製品版をもとにした自作の飛び出し児童看板について、一例を紹介した。

ojigibito.hatenablog.com

 今回は、飛び出し児童看板について回る課題……と言っては大げさだが、「予め決まった形の板に、どういう図案を描き込むか」ということに、作り手がどう向き合ったかの例を紹介してみたい。なお今回の写真は全て、2009年12月に京都市下京区の、同一小学校区内で撮影されたものである。
 まず、本来の「この形の板に、こういう図案の絵を描く」という思惑に、忠実に沿った形で作られたと思われる例を。

飛び出す少年

 ランドセルを背負った、飛び出し少年である。帽子を被っているので、頭にはその分の出っ張りがある。背中にはランドセルを背負っているので、その分の膨張部がある。
 そしてこれが、彼の裏面。女の子である。

少年の裏側で飛び出す少女

 ど真ん中に白いポールが重なっているのが、ちょっと気の毒である。それはまあ仕方ないとして、「帽子を被り、ランドセルを背負った飛び出し最中の少年」の板の形を、うまいこと活かしている。彼女も帽子(ベレー帽?)を被っているので、帽子の出っ張りカーブは同じような形で活用されている。ランドセルの分は、髪の毛に活用されている。両面ともに、うまいこと板の形を利用した、美しい飛び出し児童看板と言えるだろう。
 しかし、この校区の飛び出し児童看板は、恐らく児童も加わっての手作りと考えられるため、中にはなかなかスゴいものも……。これは別の場所にあった奇抜な衣装の人。

なかなか奇抜な衣装の飛び出し人

 円らな瞳、カワイイエプロン、そして頭の生物的被り物が目を惹く。(何となくだが、この人は児童ではなく、むしろ保護者によるデザインのような気もする……)
 そしてこの人の反対側には、謎の緑色の生物が存在していた。

カエル?

 カエル?トカゲ?やはりカエルだろうか?まあとにかく、人間ではないことは確かである。ピンク色の丸い部位は、何となくカエル感があるが……。反対側の面の人は、この生物を頭から被っているような感じ、という設定なのであろうか(目の感じが違うが)。
 ちなみにこの看板の下に付いているメッセージはこちら。

念入りに警告

 待った待った止まれ危ないよと、なかなか念入りな警告の群れである。
 そしてこれが、この形の板を非常に「大胆」に使った例。ある意味では「巧み」とも言えるかもしれない。

二頭身鼻デカ人の飛び出し状況

 元々の想定では手になる部分を、に見立てたわけである。そしてそれに合わせて顔が作画されていると……。帽子の膨らみはこうなると些細な出っ張りでしかなく、髪の毛の膨らみとして使われている。かなり大胆な出で立ちの人だが、全体としてはちゃんと「飛び出し児童」としてまとまった感じもあり、なかなか侮れない。ちなみにこの裏面の様子は不明。
 最後に、この板の形をうまく利用した、女の子の写真で占めたい。

飛び出し少女

 まあ当然ながら、この校区の飛び出し児童も、既に何度も代替わりしていることだろう。その都度、実に個性的な面々が、活躍していたに違いない。しかし、北区での状況から察するに、あまり道路の幅などに余裕がない京都市内では、年々数を減らす傾向にあった可能性はある。この種の飛び出し児童看板は、車との接触などの問題が無視できず、北区のある地域では年々数が減っていった。町内会で設置したものだろうが、恐らく管理や新規作成などの問題もあるのだろう。つまり「人手」の問題である。
 その後の追跡調査はもはや望むべくもないが、まあ置ける場所には、児童の安全のために、今後もこういう飛び出し児童看板を置いてもらいたいものである。

 

【LINEスタンプ】「ことりスタンプ Vol.3」リリース

 約半月前に、LINEスタンプ「ことりスタンプ Vol.2」がリリースされた事を、こちらでお伝えした。
 そして本日、「ことりスタンプ Vol.3」がリリース。

ことりスタンプ Vol.3

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 Vol.1、2共々、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

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store.line.me ところでVol.2が出た時点では、小鳥ブラックSFマンガ「小さな居候とわたし」第6話は未だ出ていなかった。
 ますます血が出る内容になっているのは、表紙からも何となく察せられるかと……。

 1〜5話はこちら。ちなみに第7話の仮タイトルは、今のところ「相食む子ら」で考えているが、もちろん内容次第。7話の表紙は6話で大活躍(?)した、あの子で既に作成済み。

 

【本】「賢い研究者は仕組み化をうまく使う」リリース

 2024年3月29日、「賢い研究者は仕組み化をうまく使うがリリースされたので、こちらでお知らせを。著者名は「Bowing Man」である。
 amazonKindle電子書籍)版はこちら。

 ペーパーバック版はこちら。

 ビジネス方面にも応用できる部分もあるかと思うので、興味がおありの方は何とぞ……。

「研究者シリーズ」(?)既刊の方も、何とぞよろしくお願い致します。

 そして研究の現場のあれこれを描くこちらのマンガもなにとぞ……。

 

【マンガ】小鳥ブラックSFマンガ「小さな居候とわたし」第6話「貪る子ら」リリース

 小鳥ブラックSFマンガ「小さな居候とわたし」第6話「貪る子ら」が、昨日、日にちの変わりそうな時刻に、Amazon Kindleでリリース。代金ゼロ円。何とぞよろしくお願い致します。

 今回は、これまでで最も多く血が出る状況になっている。しかし所詮は小鳥なので(?)、大した事はない。
 第1話から第5話はこちら。

 研究の現場マンガ「吐きだめの研究室」も、何とぞよろしくお願い致します。

 

【飛び出し児童】「製品」と「自作」

 Kindle電子書籍「飛び出し児童館」シリーズの改訂第二版の事は、ここでもお知らせしたが、飛び出し児童そのものに関してはしばらく話題に出す事もなかったので、ここらで小ネタを。
 下の写真は、2009年に京都市左京区で見かけた、飛び出し児童看板である。

サッカーボールを蹴りつつ飛び出す少年(2009年9月)

 モノクロの線画で構成された少年である。シートの形で販売されている製品のようで、地面に立てるための支柱などは、地域住民の方々が自作した模様。
 この少年、どこかで見た記憶が……と思ったら、その2年前、すなわち2007年の3月に、姫路市内で出会っていた飛び出し少年の元ネタであった。
 2007年に出会った少年の写真がこちら。胸の「8」も同じである。

地域住民自作のサッカー少年(2007年3月)

 お手製の彼は、遠目にも目立つ真っ赤な服を気ていた。非常に色白なのは、まあ使える塗料の制約もあったのだろう。塗料が垂れている所が幾つもあるが、屋外で使う事が前提の飛び出し児童看板で、まさか水性塗料という事は……。工作の途中で、ちょっとした失敗があったのだろうか?乾かないうちに立ててしまったとか?左腕の赤色の垂れは、そんな感じが濃厚であるが。

滴る塗料

 製品版の彼は、プロのデザイナーが描いたものである事は、間違いないだろう。それを地域住民の方々が模写するとなると、普段この種の絵を描き慣れていない人には、特に手指の表現や顔パーツなどの模写は、かなり難しいものがあったと思われる。
 しかしそれを差し引いても「結構頑張りましたね」と思ってしまう。むしろ、シンプルになった顔パーツで構成された表情は、何とも味わい深いものがある(人によっては、ちょっと「怖い」と思えるかもしれないが……)。

 一瞬、この姫路市の彼の方が、製品版の「元ネタ」という可能性も……とも思ったりしたが、その可能性は極めて低いだろう。常識的に考えて。
 恐らく彼も、今は既に役目を終えて、この場には新人の飛び出し児童が配置されている事だろう。撮影時点で、既にかなりの劣化が塗装面に生じているのが見て取れる。
 また同じ感じで、製品版のサッカー少年を模したものに代わっていたら、ちょっと面白いのだが……。代々、この場はこの姿勢のサッカー少年が活動、という感じで。

<追記>
 製品版(カラー)のサッカー少年の写真が、後で写真の群れの中から発掘された。

京都市左京区のサッカー少年看板(2011年3月)