現在出ている「はてなブログ」のお題の一つに、「人生で一番古い記憶」というものがある。そこから発想を飛ばして(?)、先日亡くなった漫画家の松本零士氏の作品の中で、自分が一番最初に出会ったものは何か思い出してみた。
松本マンガとのファーストコンタクトは何だったか?といざ考えてみると、なかなか特定は難しいものである。しかし、恐らくこれだというものは、一応出てきている。
それは「ダイバー0」(1975年、少年サンデー増刊号、小学館)である。
母方の祖母が入院した病院の待合室にあった、ボロボロのマンガ雑誌。その中のマンガの一つが、幼稚園に行っているかいないかの頃の自分の心に、大変強く焼き付くこととなった。身体を破壊され、黒い床の上で「たすけて……」と呻く女性型アンドロイド、その後方に佇む怖い形相をしたひげ面の男。特に強く印象に残っている場面である。
いったいあのマンガは……とずっと思っていたのだが、何十年も経って本作の電子書籍版を入手し、ようやくそれが「ダイバー0」第一話の、まさに冒頭のシーンだったことが分かった。「あーやっぱり松本作品だったか!」と思ったものである(あのメーターの群れや機械の描写なども、たぶんそうだろうなぁとは思わせるものだったが)。ちなみに女性型アンドロイドは、本作の主役であるゼロの「母」となるWG187233号で、後方にいた怖い顔の男は、ゼロの仇敵・蛮古博士であった。
では二番目は何か?と考えてみると、これもなかなか難しい気がしたのだが、これも「まず間違いない」と思うものがある。それは「大純情くん」(1977年、週刊少年マガジン、講談社)である。友達の家にあった、これまたボロボロのマンガ雑誌(=少年マガジン)に掲載されていたものだったが、ダイバー0とは対照的に最終話での出会いであった。
松本作品ではお馴染みの四畳半&ファンタジーかと思いきや、結構「怖い」SFであった。本作は未だ電子書籍化されていないようである(少なくともKindleやKoboでは無い)。
そういえば講談社は以前、電子書籍に関してAmazonとちょっとばかり「何か」あったのだったか……と思ったりしたが、関係あるかどうか。その「何かあった」あおりか、途中までKindleで買っていた「ミクロマン」(森藤よしひろ、1976年、テレビマガジン)も、3巻まで買ったところで、4巻以降が購入できない状態……というか、元々無かったかのような扱いになってしまった。未だに未練がましく、4巻目をAmazonのウイッシュリストに入れてはいるが……。ちなみに「ミクロマン完全版」の非常に分厚い3冊は、しっかり入手した。
(さらに余談であるが、連載当時に出ていた「ミクロマン」単行本は、1〜6巻全部、かなり美品の状態で持っている……実はささやかな自慢である)
ところで「大純情くん」の主人公である物野けじめ少年について。実は同時期に「月刊少年マガジン」に不定期連載された「魔女天使」にも、同名&同容姿の少年が登場する。
「大純情くん」のけじめはアパートに独り暮らしだが、「魔女天使」のけじめは一軒家に両親と暮らしているという違いがある。容姿は全く同じだが、完全な別人ということになるだろう。「大純情くん」のけじめは、謎の美女、島岡さんに両親のことを訊かれて、顔を曇らせつつ「いまはいいたくない」と答えている。しかし多分、彼の両親も「魔女天使」に登場した人々のような感じなのだろうな……と思う。
「大純情くん」は単行本全三巻を持っていたが、さすがに痛みが進んだうえに、危うく捨てられる一歩手前の保管状態になっていたので、意を決して(?)「自炊」、すなわち電子化した(もちろん個人でのみ閲覧)。しかしいつの日か、正式な電子版が、広く利用可能な形で出てくれることを祈りたい。
「大純情くん」は、北海道支部長(=姉)の小学生高学年当時の友達のKさんが大好きなマンガで、Kさんがうちに遊びに来ると、かなりの確率で「読ませて」とお願いされたものである。たぶん、あの世界観にハマったのであろう。本作は多くの人に読んで貰いたいものだ……と思う。いや本当に。
ちなみに「大純情くん」とのファーストコンタクトの場面は、これはまず間違いなく、最終話冒頭の見開きで、けじめのアパートの大家さんが神様に祈る場面である。別に何てことない場面に思われるかもしれないが、やはり見開き&白黒コントラストの妙というか何というか、非常に心に残るシーンであった(そして最終盤の展開、島岡さんの「あの姿」も……絶縁体……絶縁体と液体の混合物……)。
松本作品について語り始めると、恐らく「人並みより2割増し」程度には語る可能性があるので、今回はここまでにしておきたい。
(途中でコミカライズ版ミクロマンも混じってしまったが、そこは寛大にお許しを)
最後に松本零士先生、数多くの素晴らしいマンガをどうも有り難うございました。