オジギビト集会所本部長室R

路上観察サイト「オジギビト集会所」本部長のブログ

【オジギビト】控えめに佇む人々

 オジギビトは通例、看板の中でわりと大きな面積を確保しているものである。その存在感をこれでもかとばかりに見せつけている人もいたりする。

 しかし一方で、例えば下の写真の人のように、かなり控えめな人々も存在する。

京都府京都市下京区の人(2009年12月)

 この人は恐らく「素材集の人」と思われる。青服バージョンには何度も出会っているが、オレンジ服バージョンはこれが初めてであった。素材集の人々の場合、このように作り手の裁量で、ごくごく控えめに配置されることも、しばしばあると思われる。

 サイズ自体は大きく、情報量も多めの看板の中で、さりげない感じでオジギをしている場合もある。

東京都大田区蒲田の人(2015年12月)

 レイアウト上の問題というか、単に「スペース不足」で、このように控えめな状況となってしまったのであろう。オジギビトを立たせるスペース自体はわりと確保できたのだが、横長なので、直立不動の人にはやや不向きと判断されたためと思われる。ただ、改めて見直してみると、もう少し彼を大きめにできる余裕はあったのでは……とも思える。もしかすると、何らかのメッセージを、彼の横に縦書きで入れる予定だったのかもしれない。

 下の写真の人も、かなり控えめである。まずは「寄り」の写真から。

京都市左京区下鴨宮崎町の人(2016年2月)

 これだけ見ると、保護帽や作業服にマークもちゃんと入っていたり、ちゃんとした人のように見える。次はもう少し引いた写真である。

「お願い」の下に立っていた彼

「お願い」の赤文字の真下で、彼はオジギしていた。メッセージの添え物という感じである。そしてさらに引いた場合の様子が、下の写真である。

赤い矢印部分に彼

 看板の大きさからしても、彼の存在は非常に控えめであったことが分かる。看板に出さねばならない情報量との兼ね合いで、こんなことになってしまったと思われる。彼のために独立した一枚を、用意しても良かったのでは……と思ったりするが、そこは経費や手間の問題があったのだろう。

 オジギビトの実際のサイズ自体が、非常に小さい場合もある。

岐阜県土岐市の人(2017年12月)

 電柱の交換工事の場で、オジギする人である。髪型と顔ですぐに分かるが、この人は通常、もっと大きな看板の上で活躍している人である(次の写真)。電柱との対比で、彼のサイズがかなり控えめなものであることが、見て取れるだろう。こういう張り紙上でのオジギは、彼にとってはイレギュラーな状況と思われる。

 よく見ると、この張り紙上に配置される際に、保護帽や作業服へのマークなどの追加の他、靴の辺りにも改修が施されていたのが分かる。頭頂部の髪のはねは修正されて無くなっている。

東京都大田区蒲田の人(2016年11月)

 

 最近はオジギビト自身が存在しない現場も多いが、控えめとはいえこうしてオジギビトを配置する場合もしばしば見られる。まだまだオジギビトの活躍の場は、完全には奪われていないようである。

 逆に、存在感が過剰なほど大きい人々は、またの機会に紹介してみたい。