先の記事で、完全に三色(赤白青)で構成されているオジギ看板はあるか?とふと思ったので、少々見直してみることにした。
まああれこれと見直すまでもなく、すぐに思い出したのが彼の看板である。
極めてスタンダードな、直立不動型オジギビトである。彼の活動する姿を初めて写真に収めたのは、1998年のことであった。当時の印象は、「直立不動型の人々の中では、まだ若手っぽい顔」であった。
保護帽のみ黄色になっているが、その他の部分は青で統一されている。衣服などのディテールは、2010年代に入っても全く変わっていないようである。
しかしこれらの写真を見て気付いたのだが、彼は青一色の線で構成されてはいなかった。もう一度、2013年の彼の、頭のクローズアップを見てみよう。
保護帽の縁近くの、カーブの角度が変わっている所に、左右に二本ずつ線が入っている。これらの線は青ではなく、より黒っぽく見える。1998年の彼の場合はちょっとはっきりしないが、濃紺あるいは黒く見える線が、全く同じように入っている。ここだけ敢えて色を変える理由は何か?という疑問もあり、また見方によっては青から濃紺〜黒のグラデーションとなっているように見えなくもない。しかし、保護帽のこれらの部分だけが、青一色の彼から明らかに浮いているのは確かである。
というわけで、惜しいことにどうやら彼の看板は「完全トリコロール」ではなかったようである。
ついでと言っては何だが、山形市内で出会った、相当ベテランになった彼の姿を。
長年に渡り、様々な現場に立ち続けたことを物語る、塗装のはげっぷりである。彼の現場デビューはいつ頃かははっきりしないが、もしかするとこの工務店では、90年代後半辺りからずっと同じ看板を使用しているのかもしれない。
保護帽の黄色が1998年の彼よりも薄いので、例の線が青よりは黒に近いらしいことが見て取れる。彼は2020年代に入ってもまだまだ現役で活躍中のはずなので、出会ったらなるべくそばに寄って、保護帽の所を念入りに確認したいものである。
ちなみにこの現場のすぐ近所の電機店に、なかなか年季の入った看板があったので、それもついでに。
「シャープ ロングランカラー」と読める。ブラウン管テレビのブランド名的なもののようである。ネット上の情報では、「ロングランカラー」という言葉は、昭和40年(1965年)辺りから昭和60年(1985年)辺りまで使われていた模様。20年のスパンは結構長い感がある。
薄型液晶テレビ全盛の時代になって久しいが、ブラウン管時代の名残をこうした形で発見できるというのは、何というか感慨深いものがある。