オジギビトはその存在そのものがメッセージ性を持つものである。しかし、時として自分自身が「背景」となり、伝えるべきメッセージ(=文章)の引き立て役に回る場合もある。今回はそのような例を幾つか紹介したい。
この人は北海道教育大学釧路分校のすぐ近くで発見された。文字の後ろでのオジギにも関わらず、大変理想的なオジギポーズを取っているのはさすがである。文字のせいで見えにくいのだが、なかなかベテラン感のある面構えの様子。
直立不動姿勢で現場に立つ時の彼は、犬を伴っている場合が多いのだが、文字の後ろに来る時は連れてこないらしい。ちなみにこの公園は旧釧路川の河畔にあるのだが、2011年3月11日の東日本大震災で発生した津波により、水に覆われたとのことである。
これは犬を連れた彼。彼だけの例ももちろんある。また、犬は同じだが全く別の人に入れ替わっている場合もある。それらに関してはまた機会があれば紹介したい。
文字に隠れているせいで、この人がどんな目をしているのか殆ど分からなかったのだが、彼その人と思われる看板が、京都市北区上賀茂で確認された。やはりシンプルに閉じていた。
次の例は、北海道釧路市春採の交番近辺で確認された例である。(ちなみにその交番、とある理由で閉鎖……あの近辺の防犯は大丈夫だろうか)
「御協力願います。」の句点が偶然左目の上にあるため、最初はなかなか不気味な目つきの人だと思ってしまった。全体的には今風のスタンダードな感じの人である。
首の後ろ側に見える黄色いものとその下の黒いものは何だろうかと少々考えてしまったが、長い髪を何か黄色いもので縛っているのかもしれない。
この人は全てのオジギビト衆の中でもかなり上位に入るであろう、可愛いオジギビトと言えよう。文字に隠れていない状態のこの人を、是非見てみたいものである。
現場用具や資材などの保管場所にいた、和服オジギビトである。着物の柄や表情などからして、この人は女性らしい。近年の女性オジギビトの現場進出は着実に進んでいるが、このような形態のオジギは大変珍しい。京都ならではという事なのだろうか。
これまでの、文字に隠れている人々の中では、最も頭身が低い人である。その分、顔の造形など可愛さも増大しているわけであるが。
保護帽が頭にぴったりし過ぎているせいか、あまり硬そうではないように見えるのが、現場の人としては難と言えば難であろうか。しかしまあ、この点も含めてカワイイのでその点は許される事であろう。
背景化オジギビトは、淡い色彩あるいは半透明化しつつ、文字メッセージのために敢えて自らの存在感を多少減じる傾向があるが、この人はそうでもないようである。その代わり、文字が白く縁どられており、メッセージの方がオジギビトに配慮した形となっている。
一見かなりの巨頭のように思えるが、よくよく見ると顔自体の輪郭は身体よりも若干幅広なだけで留まっている。
次の例は、全体が文字で覆われているのではなく、身体の前にオジギ定型句がシンプルに配置されているものである。「文字に隠れて」というのとはやや異なるが、デザインの狙い、思想的な点としては同じベクトルであろうと思われるので、ここで紹介することにしたい。
この人はシンプルめではあるが、意外と陰影処理的な点で注意が払われているな……というのが、第一印象であった。また、「ご迷惑をお掛け致します。」の文字も、オジギビトに被せることを前提としているためか、ちゃんと白い縁取りがなされている。
次の例は、札幌市内で確認された、明らかに人間以外のキャラである。
鼻の位置と口の下にある白線は、もしかして道路に描かれている白破線であろうか。とするとこの「顔」は道路で、直立した道路表面に目と口、手足が付いているという事になるのだろうか。この「顔」が直立した道路だとすると、横から見ると平べったい板状という事に? しかし保護帽は普通の円断面のものなのだろうか? 興味は尽きない。
それにしても、(少なくとも今回紹介した人々には)全般に文字がちょっと被り過ぎではないかと思う。しかしメッセージの裏側に控える「背景」としての役目を担わされた以上、オジギビトたちからすると、むしろ「そうでなくてはならない」のだろう。